福島の事故で、中部電力の浜岡原発に不安の目が向けられている。
同じ太平洋岸の沸騰水型である。浜岡の名で思い出すのは、遠い夏の
草いきれと鶏舎のにお い、大学の卒業研究で通い詰めた日々だ
春に米スリーマイル島の事故が起きた1979(昭和54)年のこ
と。東海地震のリスクが言われる中で、浜岡の営業 運転は4年目に
入っていた。わが故郷静岡の原発は大丈夫かというのが、卒研の動機
である
題して「原子力災害をめぐる住民意識」。周辺の人々がどれほど
案じているのか、100人に面談した。いずれ命にかかわる事故が起
きると3割強が考えていたが、心配しても始まらない。悟りにも似た
空気が集落に満ちていた
住民の不安を「安全神話」で包み込み、原子力は日本の電力の3割
を担う。釈然としないまま、生活者として甘受する自分がいる。福島
発の電気が東京に回る 現実に黙しておいて、したり顔で脱原発を説
くつもりはない
それでも地元の「裏切られ感」は分かる。福島第一は運転歴が浜岡
より5年長く、地元2町は40 年以上、財政や雇用で東電と運命共
同体だった。原発城下町の落城である。安全を信じた町民が今、家
に戻れない
長い離散は地域社会を壊し、故郷が消えるか もしれない。電力を
支えた人々に、これ以上の仕打ちはなかろう。恩恵に浴すことなく
放射能にさらされた隣接市町も、肉親の捜索さえできない状況だ。
その憤 りを共有し、代替エネルギーと向き合う気力を奮い起こした
い。
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