2000-04-03

2011年4月3日(金)天聲人語

 日常というものがかくも微塵(みじん)に破壊された光景を見たこ

とはないと、遅ればせながら被災地に入って思った。材木、瓦、ミシ

ン、仏壇、めがね、電動歯ブラシ、家計簿、かつら、割れた便器。あ

りとあらゆるものがねじれ、ゆがみ、ひん曲がって、街が集落が消え

ていた

 阪神大震災のときは翌日神戸に入った。あれほど壊れた街を見るこ

とはもうないと思っていた。しかし――。「すべての言葉は枯れ葉一

枚の意味も持たないかのようであった」。アウシュビッツを訪ねた開

高健の「うめき」が脳裏をよぎっていった

 当事者と非当事者との間にある越えがたい深淵(しんえん)。そこ

に懸ける言葉を持ちうるのか。「(3・11を)ただの悲劇や感動話

や健気(けなげ)な物語に貶(おとし)めてはいけない」。作家のあ

さのあつこさんが小紙に寄せた文の一節を、きびしく反芻(はんすう

)した

 たぶん私たちも、言葉が枯れ葉一枚の意味も持たない壊滅状態から

、ともに歩み出すしかないのだ。深淵を飛び越えたつもりの饒舌(じ

ょうぜつ)は、言葉の瓦礫(がれき)にすぎないとあらためて思う

 取材した気仙沼から石巻まで、大小の良港のある陸前は今が早春。

〈ふなばらを/まつ青にぬりたてられて/うれしさうな漁船だ/――

鮪(まぐろ)をとりにでかけるところか/ああ、春だの〉(山村暮鳥

)。こうした平穏は今や遥(はる)かに遠い

 女川の町は文字どおり無くなっていた。女性がひとり、這(は)

って形見を探していた。「泣いても泣いても泣けてきて」。国をあげ

ての長い試練となる。懸ける言葉を絞り出したい。

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